論語にこのような言葉があります。
人にして仁ならずんば、礼を如何にせん
人にして仁ならずんば、楽を如何にせん
「思いやりの心のないものが、うわべの礼だけつくろったとしても、そんなものが何になろう。
愛のないものが、テクニックだけで音楽を奏でたとしても、そんなものが何になろう」と。
愛(心)のない、テクニックだけで奏でられた音楽が人の心に響くことがないように、
礼も仁あってこその礼。ただ体裁をつくろうだけの形だけの礼は「虚礼」となって、決して人の心には届かない。
心のない礼は虚礼。仁と礼は、両方あいまってこそ意味がある。
どんなに身なりをきれいにして、丁寧な言葉づかいで、体裁を整えたとしても
そこに相手を思う心がなければ、仏作って魂入れず、になってしまう。
仁は人の心。礼は具体的な形ある行為。
心と形、どちらに偏ることなく同じように大切にしたい、という思いをこめて、
「仁礼(にれい)塾」と名付けました。
仁礼塾のロゴマークは、蓮の花をモチーフにしています。
蓮は、「泥より出でて泥に染まらず」と言われるように、泥の中から出てきた花とは思えないほど、美しく清らかな花を咲かせます。
その泥が濃ければ濃いほど、水が汚れているほど、大輪の花を咲かせます。むしろ、きれいな水では小さな花にしかなりません。
人もきっと同じです。
汚れた泥水の中から、真っすぐに立ち上がってくる蓮の花のように、人生、辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、悩んだり迷ったり、色々あるけれど、
だからこそ、その分、人に優しくなれるし、たくさんの経験を糧にして、より美しく生きていけるはず。
また 蓮は、水をはじく撥水性がとても高いため、泥水から出てくるにも関わらず、葉や花が泥で汚れることがありません。泥の影響を受けずに、清らかな花を咲かせます。
人も同じように…とはいかないかもしれないけれど、どのような環境、状況にあっても、凛として自分らしくありたい。
そんな思いをロゴマークの蓮に込めています。