VOL.522『「きれい」と「美しい」の違い』
2013年4月最初の月曜日、1通目のメルマガをお送りしました。
あれから10年、一度も欠かすことなく送り続けることができました。
(日時を間違って送信してしまったことは数回ありましたが^^;)
ちなみに、VOL.1の記事は、
美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。
という、オードリー・ヘプバーンの言葉を引用したものでした。
私はいつも、「きれいな所作」ではなく、
「美しい所作」と言うようにしているのですが、
「美しい」と「きれい」は、意味が重なる部分もありますが、
本質的な違いがありますよね。
辞書で調べてみると、
「きれい」は、姿・形・色などが整っていたり、
華やかであったりと、外面的な様子に使われるのに対し、
「美しい」は、心を打つ、内面的な好ましさに用いられることが多い、とのこと。
たとえば、「桜がきれい」といったら、
桜の花の容姿の可憐さ、可愛らしさなどを表しているのに対して、
「桜が美しい」といったら、
桜の生命力や、はらはらと散る儚さなどに心を奪われている、ということなのかなと。
そう考えると、「きれいな所作」と「美しい所作」の違いも見えてきますね。
はっとするほど心奪われる所作…というのはなかなか出会えるものではありませんが、
そこにはその人の内面(在り方)が宿っている。
だからこそ、きれいなだけではない、心を打つ所作になる。
オードリー・ヘプバーンのいう、美しい唇、美しい瞳も、
きっとそういうことなのかな、と思っています。
VOL.1からコツコツ10年、
長いお付き合いの方も、最近登録してくださった方も
読んで下さる方がいるから書き続けられています。
本当にありがとうございます。
これからも、心を込めて月曜日の朝に送ります。
引き続きお付き合いのほど、どうぞ宜しくお願い致します(^_^)
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今日は残りの人生で一番若い日♪
凛とした姿勢と温かい言葉で充実の一週間を!
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